光照寺薬師堂 附 厨子

光照寺薬師堂の写真

初秋の薬師堂

寺の創立については、明らかではありませんが、古くは真言宗寺院であったと言われています。はじめは現在地から北東の団子新居村にありましたが、永正7年(1510)に武田信虎によって、岩森の坊沢に移され、「百軒の坊中」といわれるほど、たくさんの宿坊が建立され栄えたと言われています。

天正10年(1582)の織田氏による甲斐侵攻の時、織田軍によって寺全体に火をかけられましたが、薬師堂は焼失をまぬかれ、その後に現在地に移されました。

薬師堂の構造は、宝形造(ほうぎょうづくり)檜皮葺形(ひわだぶきかた)銅板葺で、阿弥陀堂形式です。形式・技法は軒や木鼻に室町時代後期の特徴がよく表されています。

堂内に納められている入母屋造妻入りの一間厨子も、薬師堂と同時期のものとみられています。

(昭和46年6月22日 国指定 (建造物))

所在地

甲斐市岩森(光照寺)

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生涯学習文化課 文化財係

〒400-0192
山梨県甲斐市篠原2610
電話:055-278-1697
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更新日:2022年07月06日

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