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野村宗貞の墓
更新日:2026年3月10日更新
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宗貞は江戸時代初めの摂津国(大阪府と兵庫県の一部)出身の浪人で江戸から宇津谷村にやって来ました。この地域の人々が慢性的な水不足に悩まされていることを知り、資金を地元の有力者等から集め、寛文6年(1666)に楯無堰(たてなしせぎ)の開削に着手しました。
堰の取入口は小笠原村(北杜市明野町)地内の塩川を堰き止め(標高405メートル)、竜地地内までの約17キロメートルを高低差わずか36メートルで、途中トンネルや樋を設けるなど高い技術によって掘り進められました。
完成時の記録は残っていませんが、普請(工事)は宗貞の手を離れ、甲府城代によって完成されています。宗貞は天和2年(1682)に没し宇津谷村法喜院に葬られました。
(昭和59年2月27日市指定 史跡)
所在地
甲斐市宇津谷(法喜院)


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