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山県大弐の墓
更新日:2026年3月10日更新
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山県大弐は、享保10年(1725)巨摩郡篠原村(甲斐市篠原)に生まれました。大弐は幼いころから、勉学に励み、兄昌樹とともに京都に勉強に出かけるなど大変勉強好きでした。
27歳のとき、江戸(今の東京都)へ出て医者をしながら、人々に学問を教え始めました。
その後、江戸八丁堀長沢町(現在の東京都中央区八丁堀3丁目)で塾を開き、多くの生徒に医学や兵学などいろいろな学問を教え、生徒は数千人におよんだといわれています。明和3年(1766)、塾での講義中に実際にある城など、幕府にとって重要な場所を使って兵学を教えたりしたことがきっかけで捕らえられ、処罰されました。大弐43歳でした。(明和事件)
墓は、もと菩提寺の金剛寺墓地にありましたが、現在は山縣神社の境内にあります。
主な著書に「柳子新論」「天経発蒙」「琴学発揮」などがあります。
(昭和52年6月25日市指定 史跡)
所在地
甲斐市篠原(山縣神社)


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