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安倍加賀守(かがのかみ)の墓(妙善寺)
更新日:2026年3月10日更新
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安倍加賀守勝宝(かつとみ)は武田信玄の家臣として使番十二人衆(百足捺物衆(むかでさしものしゅう))として、その後勝頼の側近として活躍しました。信玄の死後、武田氏は次第に勢力が衰え、勝頼は天正10年(1582)新府城に火をかけ岩殿城(大月市)へ落ち延びようとしましたが、天目山中で勝頼父子は自刃し、加賀守は討死しました。そして彼の首級は家臣によって菩提寺であった妙善寺に葬られました。
3基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)の内、中央が加賀守、左右が信州高遠城で討死した2人の息子のものと伝えられています。
(昭和41年5月17日市指定 史跡)
所在地
甲斐市宇津谷(妙善寺)


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