回看塚

文字が刻まれている大きな石碑の写真

 天正10年(1582)織田軍が信濃国に進入し、武田信玄の五男仁科信盛の守る高遠城を落とすと、武田勝頼は3月3日に入城間もない新府韮崎城に火をかけ、家臣の小山田信茂の居城岩殿城(大月市)へ落ち延びることとなりました。

 その途中勝頼夫人は振返り、煙の立ち上る新府城を見て、

 「春かすみたちいづれども幾度か あとをかへして三日月の空」

 という歌を詠んだと伝えられています。

 この碑は、大正13年に地元の人々によって建立されました。

 (昭和61年11月26日市指定 史跡)

所在地

甲斐市宇津谷8973-2

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生涯学習文化課 文化財係

〒400-0192
山梨県甲斐市篠原2610
電話:055-278-1697
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更新日:2022年07月06日

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